Honda青山ビル39年の軌跡。建築に込められた創業者?本田宗一郎と藤沢武夫の理念と安全思想
1985年に竣工したHondaの本社ビル「Honda青山ビル(以下、青山ビル)」が、2025年春にその役目を終え、建て替えが行われます(2030年度の完成を目標に同地に新本社ビルを建設予定)。
「20年後に最新であれ」という創業者?本田宗一郎?藤澤武夫の思想と、Hondaのものづくりの哲学が具現化した同ビル。
日本初の技術を取り入れた建築デザイン、安全性や省エネを追求した設計は、「オフィスビル」としての役割を超え、技術革新と未来志向が融合する場となりました。その細部に込められた技術や想いを紐解いていきます。
Hondaの夢を乗せた青山ビルの39年
日本の高度成長とともに、飛躍的な発展を遂げてきたHonda。その歩みは、創業者?本田宗一郎と創業期から彼を支えた経営の要?藤沢武夫のビジョンによって形作られてきました。
初の自社ビルが八重洲本社ビルとして竣工した1960年の社報のなかに、こんな言葉が綴られています。
”毎日毎日、何十万という人が、東京駅を中心に、集まってはまた散っていく。このスキー坂のようなホームから、流れでる人波の中のほんの一部の人たちが私達のビルへやってくる。それでも、一人一人が大きな夢をもってやってくる。いまにこの小さなビルも、大きな夢をさゝえきれなくなるときが、またやってくる。そのときは、また新しくビルを建てよう”
この言葉どおり、Hondaの本社機能はその時々の夢の広がりに応じて、場所と姿を変えながら成長を続けてきたのです。
1960年に東京?八重洲に自社ビルを竣工したHondaは、1974年に原宿に移転。そして1985年、膨らみ続ける夢と共に新本社青山ビルは誕生しました。
以降、青山ビルは竣工から現在までの39年間、Hondaのシンボルとしての役割を果たしてきました。英国のチャールズ皇太子とダイアナ?フランセス元妃をはじめ、各国の要人が訪問する一方で、誰もが気軽に訪れることができる、多様性と親しみを兼ね備えた空間を提供しています。
青山ビルの建設プロジェクトは、Hondaグループのメンバーだけでなく、設計?建設チームも含めた全スタッフが1つの計画室に集い、「All Honda」の精神で進められました。その過程で、創業者の本田宗一郎が技術者たちに熱心に伝えた言葉があります。それは、「20年後に最新であれ」というメッセージでした。
ものづくりで追求した「安全思想」をビルの設計に取り入れた
青山ビルの設計には、現代建築の基礎ともいえる「安全」「省エネ」「フレキシビリティ」という3つの基本思想が流れています。当時としては画期的だったこれらの理念は、Hondaのものづくりの哲学をビル設計に取り入れたものでした。とくに、「災害大国日本」として災害対策を最重要課題として位置づけていました。
「本社ビルを世界一安全なビルにする」という本田宗一郎の想いは、参画する技術者たちに常に伝えられてきました。「ここに来れば安心だ」「ここを通れば安全だ」と感じられる空間が人々の安堵感を生み、パニックを防ぐ。ものづくりで安全を追求してきたHondaだからこそ、誰よりも実現すべき理念がここにありました。
なかでも、社内で働く人の安全を確保する避難脱出口の設計は、何度もプランニングと検証が繰り返されました。本田宗一郎は、災害時に建物の四隅に逃げる人間の習性を踏まえ、各階のバルコニーから避難階段にアクセスできる構造を採用。
「行政の基準はあくまで最低限であり、デザインが安全性を阻害するようなことがあってはならない」と、力説していたとのことです。
避難時は機械に頼らずに、自分の目で確かめながら2本の足で避難することができる設計、こうした考え方はHondaの哲学である「安全思想」をビルに組み込むという挑戦ともいえます。
バルコニーは、災害時に超高層ビルで想定される窓ガラスの落下や延焼を防止する構造になっており、災害に対する安全性が副次的に向上している点も報告されています。
名古屋大学減災連携研究センター?福和伸夫教授からは、杭を打つ必要がないほどの強固な地盤で、高い耐震性を実現していると後年評価されました。
加えて、青山ビル地下3階にある「ヒバ樽の受水槽」も、Hondaの従業員や地域住民へのホスピタリティ精神を表した設備といえるでしょう。
35トンのカナダ産ヒバの大樽2つに貯水された「宗一郎の水」とも呼ばれる水は、竣工以来、青山ビルを訪れる人に無料で提供されており、災害時の飲料水としての役割も担ってきました。
またこのヒバ樽は、本社ビルが原宿にあった当時、近くのフランス料理店が採用していた浄水装置から、ビル建設プロジェクト関係者が着想を得たものと言われています。
当初は青山ビルにも、このフランス料理店に設置されていたものと同じ浄水装置の導入が検討されていましたが、米国で主流であった木製樽の受水槽が浄水機能を持ち、かつカルキ臭を消し水がまろやかになることから、ヒバ樽を採用することにしました。
「安全なくして生産なし」を基本理念とするHondaは、「安全はすべてに優先する」を社是としていた施工業者のハザマ組(現:安藤ハザマ)を中心とした、多くの作業者を対象に、あらゆる安全な作業を評価?表彰する仕組みも導入していました。
このように青山ビルは、従来のオフィスビル建築ではここまで考え抜かれたものはないと専門家にいわしめるほど、「安全」を考え抜いたビルなのです。
「シビックのような設計を」。20年後を見据えた環境性能への挑戦
「安全」に次ぐ第2の命題として据えられた「省エネ」においても、現在でも色あせない技術を青山ビルは実現しています。2021年度には、一次エネルギー消費量を、京都議定書の基準年度である1990年度と比較して約60%を削減。
第13回「JIA(日本建築家協会)25年賞」(2013年度)受賞時の外観の省エネ性評価は、基準値からも約32%の削減となっており、CASBEE※1(Comprehensive Assessment System for Built Environment Efficiency/建築環境総合性能評価システム)でも最高ランク相当の評価を受けています。
※1 2001 年に国土交通省が主導し、(財)建築環境?省エネルギー機構内に設置された委員会によって開発された建築物の環境性能評価システム。地球環境?周辺環境にいかに配慮しているか、ランニングコストに無駄がないか、利用者にとって快適か等の性能を客観的に評価?表示するために使われている。評価対象となるのは、日本国内の新築?既存建築物。
さらに、2017年度のデータでは、東京都内の優良事業所と比較してもCO?排出量を約20%削減。2000年度以降、国内の主要なオフィスビルの平均値は削減傾向にありますが、一定の省エネが社会的に促進されたことや設備の更新だけでなく、2010年以降も継続してエネルギー消費量の削減が進められていることは特筆に値するといえるでしょう。
ここで紹介したいのが、青山ビル独自の天井照明です。従来のラインではなく「ロの字」のユニットになった照明は、均一な光環境を実現。日本の明るすぎるオフィス照明の照度をあらためて問い直し、ビル内の全ての照明について、医学的、生理学的なデータに基づいて照度を決定したのです。
人間工学をもとにした従業員や作業生産性への配慮のみならず、省エネルギー化の1つの要因として大きなウェイトを占めてもいるのです。
当時の建築設計者が本田技研工業の担当者から常に伝えられていたのは、「シビックのような設計を」というメッセージでした。1973年に発売され大ヒットを記録した車種「シビック CVCC」は、四方にタイヤが広がり足を踏ん張ったようなシェイプで、小型な外観ながら、それでいて車内はゆったりしており、運転しやすく性能も優れていました。
加えて、当時世界中の自動車メーカーが「達成は不可能」と批判するほどに厳しい排出ガス規制の1つ「米国マスキー法」を世界で初めてクリアしたモデルでもあります。こうした安全や快適さ、環境性能を追求する姿勢は、建築にも応用されているのです。
その中でも、当時の設計チームが省エネにおいてもっとも注力したのが、自然エネルギーを利用した「外気冷房システム」※2です。本田技術研究所の流体力学分野の技術者と協力し、試行錯誤を経ての開発でした。
※2 建物内の窓際や壁際など、外気や日光の影響を受けやすいゾーンは空調負荷が大きく、温度の変化が大きいため、特別な冷房負荷処理が必要。この冷房処理に外気冷房を取り入れ、高い省エネ効果を実現するシステム。
当時の技術者たちにとって、この空冷技術の採用は大きなインパクトがあったといいます。いわく、「ほかの超高層ビルは水冷(冷凍機からの冷水循環)だけど、青山ビルは空冷(外気利用)だね」と、盛り上がったそうです。この技術は国内で基礎研究はあったものの、まだ実施例はありませんでした。
さらに青山ビルは、コンピューター制御による空調システムを先駆けて導入。この技術はハードウェアとソフトウェアの限界によって、当初は大きな結果が出ませんでしたが、時代の進化とともに、設計の価値が発揮され、いまでは全国的に普及した技術となり継承されています。
結果が出るのに数十年を要しましたが、「20年後に最新であれ」という創業者の想いは、間違っていなかったことを証明しています。
「事務所」から「思考所」へ。現場主義を体現するオフィス空間
最後の命題でもあった「フレキシビリティ」においては、組織や技術の変化、社会や環境の移り変わりに対応し、持続可能な建築を実現することがテーマとなりました。そのため、建物を「完全なもの」とするのではなく、将来の発展を見据えた余地をあえて残すという、長期的な使用を想定した考えが採用されました。
象徴的なのが、国内最大規模の床面積を有するアンダーカーペット配線システム「FCC (フラット?ケーブル?コンダクター)」です。
この技術によりどこでも電源が確保でき、OA機器が置ける、つまりレイアウトの変更が柔軟になり、従来のオフィス内部が一変したのです。この技術は、その後普及したOAフロアによる配線システムへと更新されました。
青山ビルのフレキシビリティを象徴するもう1つの例が「ワン?ビッグ?オフィス」の採用です。青山ビルの執務エリアは19m近いスパンを架け渡す格子梁と4本の柱で構成されており、空間全体を見渡せる設計になっています。
さらに、キャビネットの高さも視界を遮らないように3段に統一されています。これらの工夫は、従業員同士の自由闊達なコミュニケーションを促進するという、Hondaの企業姿勢を体現していると言えるでしょう。
加えて、この設計は、当時の建築構造工学者?梅村魁(東京大学名誉教授)に助言を得て、広い空間を確保しつつ、高い耐震性も実現しています。
ワン?ビッグ?オフィスは、役員室でも採用されており、個人執務室を設けないフラットな大部屋のつくりになっています。これは、Hondaが大事にしている「ワイガヤ」※3の精神を象徴するもので、社長含め全役員が集まって、いつでも活発に議論ができる空間となっています。
※3 「ワイガヤ」とは、「夢」や「仕事のあるべき姿」などについて、年齢や職位にとらわれずワイワイガヤガヤと腹を割って議論するHonda独自の文化のこと。
会社が大きくなるとバックオフィス(管理部門)のパワーが強くなり、新社屋をつくった途端に勢いが落ちる会社が多いと、当時本田宗一郎は周囲にこぼしていたといいます。
徹底した現場主義を貫いた宗一郎は、そうしたことは絶対に避けたかった。過去の偉大な発明は、大企業が発明したものよりも、中小企業によるものが圧倒的に多い。
ゆえに「絶対、町工場精神を忘れるな」と。青山ビルのもっとも重要な指針である「事務所から思考所へ」という言葉はこういった考えから生まれたものです。
皆で思考し、つくる。この思想が工場にはあふれていた、と当時の技術者たちは振り返ります。
その精神を青山ビルでも忘れたくないという創業者の想いは、報奨金付きでの改善提案の募集や、工場就業時間後のアイデアコンテスト、さらには本社フロアのカーペットを工場よりも贅沢なものにしなかったというエピソードにも表れています。
最後に、青山ビルの設計当初、藤沢武夫が建築設計者とのやり取りを振り返りながら語った言葉を紹介します。
“これだけ世間が変わってきており、21世紀に向かおうとしているなか、これは一体1960年代の建物とどこが違うのか? 世間に普通にあるデザイン、構造体ではダメだ。そんなものは恥ずかしい。Hondaの技術というものは低いと見られても仕方ない。
Hondaというのは一貫して全体のレベルの高さを持って誇れるものである。工場の建物については、使い勝手で「こういう風なものにしよう」と、デザインするのは至極簡単だが、本社は無形のものだ。だから、このままではダメなんだ。また、本田技研は一人でつくったものじゃないんだ。
現場の連中がいろいろ知恵を絞っているなか、現場の意見を建物の中に入れ込むようにしてほしい、と(本社ビル建築設計者に)いってつくったのが、今の社屋(=青山ビル)だ。だからこそ、これはどこの会社だって真似できないのである”
当時の青山ビル建設プロジェクトに関わっていたHondaの技術者は700人にも上るそうです。こうした藤沢武夫の意思と、今回紹介した本田宗一郎の哲学。
まったく異なる個性を有した2人の創業者が、次世代へとバトンを託すための最後の大仕事が、現在の青山ビルだったのです。
そして、Hondaの新たな夢とともにその時々の時代によって姿形を変える青山ビルで、その哲学を引き継いでいく。それが、創業者からのバトンを引き継いだ現在のHondaが取り組むべき、次なる大仕事なのです。
Dear..HONDA 大好きな会社です。大ファンです 本田宗一郎氏の書籍をたくさん本棚にあります。藤沢武夫氏と分野は違えど。。凄い独自の良さと得意技でコンビです??ガラス張りのビルをやり直しも知っています。残念ながらHONDA車に乗車することはなかった。皆さん本田宗一郎氏と井深大氏の魂をこれからも残した欲しいい??応援しております。 上田 …さら ??
Dear..HONDA 大好きな会社です。大ファンです 本田宗一郎氏の書籍をたくさん本棚にあります。藤沢武夫氏と分野は違えど。。凄い独自の良さと得意技でコンビです??ガラス張りのビルをやり直しも知っています。残念ながらHONDA車に乗車することはなかった。皆さん本田宗一郎氏と井深大氏の魂をこれからも残した欲しいい??応援しております。 上田
Multilingual Communicator and Global Business Consultant
1 周「安全第一」
Xの@RiriaRV125
1 周シビックは昔から素敵ですね。今のシビックも良いと思います。 1.5ターボにマニュアル選べるの面白いですが、ターボはHONDAさんらしくないですよね。 HONDAさんは圧縮比低目でショートストロークの設計でぶん回って、圧縮比が低いからぶん回っても低燃費で 今でもS660に魂が残ってるのを感じます。もう生産中止ですが… でも、この設計思想のエンジンってガッツンターボと相性いいんでしょうね。
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